毒親育ちのわたし〜自分が親になった今だから分かる当時の母の苦しい気持ち

ねこうまの小言

どうもどうも ねこうま(@coticoti33)です。

 

大人になってから滅多に泣くことはなくなりました。

 

そんなわたしの気持ちをいまだに揺さぶり続ける人がいます。

 

 

 

そうそれは実母、わたしのお母さん。

 

初めての出産を終えたばかりの不安定なわたしに向かい、ほんの些細な言い合いから「お前は本当に親不孝。子どもがかわいそう。この後わたしが乗る飛行機が墜落でもして初めて親の大切さを思い知ればいい」とまで言い放ったわたしのお母さんの話です。

 

いまだにわたしを苦しめる毒親の母

27歳 一児の子持ち、自分の家庭を持ってもなお

 

そのお母さんのことを考えると胸がグッと掴まれたような気持ちで苦しくなります。

 

 

冒頭でも触れた通りわたしのお母さんは世間一般でいう毒親に当たります。

 

 

 

本人に自覚があるかどうかはわかりませんが、毒親という言葉が出てきて初めてそれを知ったとき「ああ、わたしのお母さんは毒親だったのか」と妙にストンと腹落ちしたのを覚えています。

 

 

人格否定・誹謗中傷など実の親とは思えないぐらいいろんなことがありました。

 

毒親である母の特徴〜真面目、とにかく真面目

わたしのお母さんは不器用にも関わらずとても真面目で、悪く言えば融通がきかないところがありました。

 

自分がこうと決めたらこう。他の意見を寄せ付けません。

 

 

幼心にそれが頼もしく思えたときもありましたが、周りを顧みずに突き進み自分の思い描いた通りにいかないと途端に機嫌が悪くなり周囲に当たりました。

 

 

さらには真面目な割に不器用だからか事あるごとに約束の時間が守れません。

色々予定は立てるのですがうまくいかないのでイライラしています。お母さんとしての責任感が人一倍あるのでしょうが全て空回り。

 

そして真面目な性格だからその約束が守れないという事態がまた許せないのでしょう。さらに周りに当たります。

 

 

本当に日常の些細なことでそうなるので、思春期にもなると毎日いつ怒られるのかとビクビクしていました。

 

 

それと同時になぜかお母さんのことがとても好きでした。今でも不思議なぐらい目を閉じると優しい時のお母さんの笑顔が目に浮かびます。本当不思議なぐらい。

 

母の過度な期待に応えようと必死な幼少期

お母さんは自分の経歴にかなりのコンプレックスがあったのか、子どもである兄やわたしに過度な期待を寄せました。

 

幼少期から習字にピアノ、小学校は毎日のように塾に通い友達と遊んだ記憶があまりありません。

 

 

 

生まれてから結婚して今までずっと九州の片田舎で生きてきたお母さん。

自分の知らない世界を見て欲しいと思ったのか、自分と同じ思いはさせたくないと思ったのか…

 

中学から私立に通って目指せ医者!目指せ公務員!と田舎でよくあるような入れ込みでした。

 

 

わたしはお母さんを喜ばせたい一心で勉強をしました。テストでいい点を取れば喜んでくれる。お母さんの笑顔が見たい。

 

家事育児に非協力的な父と喧嘩ばかりの毎日

まあここまできて想像がつく通りわたしのお父さんは家事育児に非協力的な人間でした。

子どもの目から見てもそう。

 

これが協力的な人だったらお母さんもあそこまでなっていなかったのかもしれません。

 

 

お母さんは毎日のように愚痴を言い、時には喧嘩をしながらそれでも家事をこなしていました。

共働きだったしさらにはわたしの10個下に障害を持った弟が生まれたのもあり、ますます余裕がなかったお母さんの姿を覚えています。お母さんはどんどん壊れていきました。

 

 

お母さんの愚痴をいうお父さんも

お父さんの愚痴をいうお母さんも

 

どちらも嫌いでした。

 

 

わたしはずっと互いの両親の悪口を両親から聞きながら育ちました。

 

大学受験の失敗=人生の失敗〜遺骨で母からボコボコに殴られる

そんなわたし。

勉強のモチベーションが続くわけもなく、高校に内部進学すると次第に不登校になります。

 

学校で何かあったわけではないですが、なぜかいつも身体がダルかったのです。思考が止まっていて気づいたら朝が来て夜になる、といった毎日でした。

 

今考えればあのときもうすでにわたしもおかしかったのだと思います。

 

 

この頃両親の喧嘩もヒートアップし、別居をして離婚調停をはじめていたのでさらにわたしの気持ちもボロボロになっていました。

 

 

 

そして大学受験は見事に失敗しました。

 

 

中高と私立の一貫校に進んだ割には親の希望する大学には到底いけませんでした。

 

勉強していなかったし、親の思う通りになりたくない!という精一杯の反発でした。

 

「大学には行かない」と告げてひたすら無心にゲームをしました。毎日毎日ゲームをしました。

担任の先生から携帯になんども電話がかかってきましたが無視しました。人生どうとでもなればいいと思っていました。それほど大学進学はわたしとお母さんとの大切な目標でした。

 

 

そんな時、突然お母さんから流産してしまった赤ちゃんの遺骨が入った入れ物で殴られました。

そのとき初めてわたしと弟との間にもう一人子どもがいたことを知りました。逆にそれまで全く知りませんでした。お母さんは一人でずっと抱え込んでいたようです。

 

 

ボコボコに殴られながら、「この子に申し訳ないと思わないのか」など色々言われたのですがあまり覚えていません。本人も何を言ったのか覚えてないと思います。とにかく感傷的な言葉を選んでわざと投げかけてきます。

 

これは人生の中でもっとも忘れてしまいたい記憶の一つです。

 

 

わたしの気持ちを腹を割って話すことはとうとうありませんでした。

聞き入れてもらえるような状況ではなかったです。

 

無言でゲームをしながら涙が止まりませんでした。ゲームをする手を止めると自分が崩壊していきそうな気がしてそれを食い止めるために必死にゲームをしました。涙で滲んで画面がよく見えませんでした。

 

 

 

春。桜が咲きはじめ、みんなが進路を決めてワクワクしている頃。

 

わたしはとても惨めで世界から取り残されたような気分でした。

 

進路も就職先も否定される〜いつまでも認められないわたし

色々あって最終的に入った地方の大学。

そこももちろんお母さんの納得の行くところではありませんでしたが、とりあえず大学に行くことは嬉しかったようです。

 

(まあこれも結局は口喧嘩の時に度々なじられますが)

 

 

ですが就職の時も一応世間では名の通った大手IT企業に決まったにも関わらず、田舎者のお母さんにとってはいまだに医者か銀行員・公務員あたりが正義のようで聞き馴染みがなかったのか、就職先を告げると「ハア?なんだそれは」と金切り声をあげられました。

 

 

この時は悲しいというかもはや笑えてきました。

 

わたしはお母さんにはいつまでたっても認められない、理想の子どもにはなれないことを20歳を過ぎてやっと確信したのです。

 

夫との出会い〜母の歪んだ愛情の果て

夫とは大学のプログラムで行った留学先で出会いました。

 

実父とは違い、家事や育児もイチ親として当たり前にこなしわたしにも優しく穏やかでどこか抜けていてとても愛情深い人です。

 

 

だからお母さんにとってわたしは失敗だったとしても、わたしは本能でそういう人を求めていたのでしょう。大当たり、成功大成功の人生です。

 

自分こそは穏やかで心休まる家庭を作りたかった。お母さんやお父さんから逃れたかった。

 

 

ですが結婚後もお母さんの毒親っぷりは続きます。

 

 

親戚一同集まる場でも「この子は全く料理をしない!●●くん(夫)にさせて申し訳ない。親の躾が悪かった。ずぼらな娘」などと平気でなじります。冗談とかではなく本気で。

 

我が家は得意な方がやるというルールで家事をしており料理の担当は夫ですが、御多分に洩れずお母さんにとってはありえないこと。

 

 

今なら分かりますが、お母さん的にいうとこれはこうやってあらかじめ娘であるわたしを落とした表現をすることによって結果わたしを守っているつもりなのです。

 

 

お母さんの歪んだ愛情がつらいです。

 

思い切って毒親の母と連絡を取ることをやめた

幼少期からこれまで散々

期待に応えたい!→否定されて凹む→期待に応えたい→否定されて凹む…

を繰り返してきてもなおお母さんとの連絡を取るのをやめられませんでした。

 

嫌な思いをすると分かっていつつも「子どもなんだから週に1回は電話をしないと」と変な義務感で連絡をし続けていたのです。(こう振り返るとわたしも十分お母さんに似ているのかもしれない)

 

義務感から度々帰省することもありましたが、帰省前日になると辛かった実家での毎日を思い出してまるで子どものようにワンワン泣きました。

 

 

最近になってようやくお母さんと積極的に連絡を取ることをやめました。

産後に言われた言葉の数々が、ただでさえ自分も情緒不安定だったこともあり受け止めきれませんでした。ここで初めて気づいたのです。

 

わたしとお母さんの関係は想像よりずっと脆く壊れやすいものだった、と。

 

 

今だから理解できそうな毒親の母の気持ち

そして自分で家庭を持ち、育児をしながら忙しい毎日を送っているとやっぱりお母さんのことを考えてしまうのです。

 

それも子どもを産んだ今なら理解できる(かもしれない)ことばかり。

 

 

お母さんは誰よりも家族思いで、それでもうまくいかない自分に苛立ち追い詰められていた。

 

お母さんもとっても苦しかったのだ、と思いました。

 

 

距離は置きつつも、わたしは恨むことをやめました。

意地悪されたことより親切にしてもらったことの方がまだほんの少し気持ちが大きいのです。

 

 

いろんな期待も何もかも、お母さんが頑張り屋でわたしのためを思ってのことだった。

 

そのところだけは理解して受け止めていきたいという決意をしました。

 

 

わたし自身も幼稚だった部分もあると思います。

さっさと自分の道を見つけて自分の進路を考えればよかった。それだけお母さんに依存していて親子ともに辛かったのです。

 

離れている今、気持ちはとても幸せです。

 

世の中のお母さんに伝えたい〜頑張らなくてもいいんだよ

わたし自身まだ人生経験も子育て経験も浅く、人に偉そうに言えたものではありませんが

 

 

わたしも昔は子どもだったので、イチ子どもとして世の中のお母さんに伝えたいことは

 

決して追い詰められるほど無理して頑張らなくてもいいということ。

 

 

 

辛いときは旦那さん・親・義理の親・友人・知人・ベビーシッター・地域の一時保育、役に立ちそうなものはなんだって頼っていいと思います。

 

自分が一生懸命産んだ子どもとの関係性が悪くなるより、多少身近な人に迷惑をかけた方がどれほどましか。

 

お金で解決できることならしてしまった方がいい。また元気になったら、子育てが落ち着いたら稼げばいいから。

 

 

 

 

今となっては叶いませんが、やっぱり心のどこかで今でも親と仲のいい友人や夫を見ると切ない気持ちと羨ましい気持ちがいりまじります。

 

 

今でも穏やかなお母さんの姿を追い求める自分がいます。

 

わたしのモットーは「毎日がんばらない」

自分で自分をよく理解しています。

 

わたしはお母さんにとても似ている。

ヒステリックなところもすぐ落ち込んだり周りに八つ当たりするところも。

 

 

だからこそ自分のモットーを

「毎日がんばらない」としています。

 

 

人に「頑張れ!」と声をかけるのが苦手です。もうすでに頑張っている人に対して頑張れ!というのは酷だからと思うのです。

 

 

代わりによく使うのが

「楽しんで!」

 

 

育児でも家事でもなんだって楽しめばいいじゃないですか。

いや、一緒に楽しんでいきましょうよ。

 

 

十分頑張ってるから肩の力抜いて楽しみましょうよ。

頑張るのはたまにでいいです。

たまにも頑張らなくていいです。

 

 

 

そりゃ簡単にはできないです。わたしもできてないです。

 

だからこそ意識しています。ツイッターのヘッダー画面にもしています。笑

 

 

 

辛いよ!悲しいよ!しんどいよ!やってられないよ!

そんな気持ちをツイッターでもなんでもいいからしっかりと吐き出しましょうよ!

 

 

わたしは身近に育児でストレスを抱えている人がいたら

「お母さんすごいね。よくやってるね!楽しんでいこうね!」って声をかけてあげたいと思います。

 

 

そう、これはわたしが実の母にかけてあげたかった言葉だから。

 

 




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